訃報:田村大五さん73歳=ベースボールマガジン社元常務
田村大五さん73歳(たむら・だいご=ベースボール・マガジン社元常務) 13日、東京都調布市内の自宅で胃かいようによる出血性ショックのため死去。葬儀は17日に近親者のみで行った。喪主は妻正子(まさこ)さん。後日、「お別れの会」を行う予定。
「週刊ベースボール」編集長、報知新聞運動部長などを務めた。著書に「プロ野球人国記 全9巻」などがある。[毎日jp]
私の人生において、一つの影響を与えた方だった。
田村さんは週間ベースボールで「白球の視点」というコラムをずっと書いていた。
その後、
「新・白球の視点」という形でblogも書かれていたが、私の想い出は週べの頃。
週べを毎週購読し始めたのは中学3年から。
その頃から、田村さんのコラムはいつも楽しみにしていた。
確か当時は既に常務で、温か味と厳しさが交わる切り口が心地よく、野球に対する考え方を学んだものだった。
当blogのタイトルも当然こちらから拝借した。
それを見れば、どれだけ影響があったかは分かって頂けるのではないかと思う。
と、これはただの一読者としての関わり。
まぁ、結局は読者としてしか関わっていなかったのだが、ちょっとだけ直接関わった事が過去にある。
大学生の頃、就職について、私は一つの夢を抱いていた。
まぁ、簡単に言えばプロ野球に関わった仕事がしたい、という夢。
球団職員は元より、ベースボールマガジン社、メーカー、etc.
就職活動としては、メーカーは受けたが全然ダメ、職員は募集無しだった。
埒があかず、その拠り所を田村さんに求め手紙を書いた。
毎日毎日、夢はもちろん時事的な野球の話、時にはその日の出来事を綴って書き続けた。
大学の部活で遠征した時も、飲み会で飲んだ日も、本当に毎日。
毎日書き綴り、反応を頂いたのは公式記録員の話を持ち出した時だった。
以前、
公式記録員の募集に関して記事を書いた事があったが、その時に相談をしたのがこの田村さんだった。
そして頂いたのが
「まず何年かに1度しか募集をしない事、1人募集に何百人と応募がある事、その応募する中には高校野球の監督が教師を辞めてまで臨むなんて人もいるという事、試験では80点を超えた人数が十数名だった事、など。それくらい厳しい状況の中で本当に目指し続ける事が出来るのか、そういった人々に対抗出来得るだけの努力が出来るのか、そのいつ巡ってくるかわからないチャンスの為に就職の視野を狭める必要は無いのではないか」
という直筆のお手紙だった。
その後にも一度お電話を頂き、話もさせて頂いた。
結局今の会社に決まり、最終的に80通を超えた手紙もお詫びとお礼を述べてひと段落させて頂いた。
関わりとしては結局は書き手と読者の域を超えなかったが、就職という一つの転機に大きく関わりのあった方だった。
田村さんにとっては一読者でも、私にとっては大きな存在。
その田村さんが、亡くなった。
自分の夢は、未だ叶えられていない。
叶えたいと思う気持ちはもちろん今でもあるが、現実に打ちのめされているのが現状だ。
それでも、自分自身が納得出来る人生を歩んでいかなければ田村さんに顔向けが出来ない。
その形が、その道がどんなものであれ、胸を張って報告出来る様、精進していきたい。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
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